シティハウス南大塚テラス|大塚 マンション|トップ > ロケーション > 伝統に育まれてきた街
16世紀〜17世紀のイタリア・ルネサンス式庭園の様式の流れを汲む、いわゆる「テラス」やケヤキなどの大木に囲まれた「自由広場」、高さ4mのシャンパングラスの形をした台の「大噴水」など、歴史とともにモダンなデザインが特徴の1928年に開園した公園です。
約600年前に、豊島氏中興の祖である豊島景村が巣鴨鎮護の神として、伊勢の皇大神宮の御分霊を勧請したことが始まりとされている神社です。
戦国時代に再興したと伝えられ、江戸時代(1691年)に当地へ移り山門石段の左右には往時を偲ぶ庚申塔、疫牛供養塔などがあるお寺です。
五代将軍徳川綱吉が、その生母、桂昌院の発願により開山。江戸の面影を今に伝える当寺の姿は、昔も今も変りなく親しまれています。
「六義園」は造園当時から江戸を代表する名園の一つで、五代将軍徳川綱吉の下で勢力を振るった柳沢吉保が七年の歳月をかけて造った回遊式庭園です。
旧東京教育大学(現在の筑波大学)の跡地に、昭和61年に開園。緑ゆたかなこの公園は、憩いの場となっているとともに、防災機能を持っています。
正式には東京大学院理学系研究科附属植物園という名称です。
江戸の人々を助ける薬を育てる目的で、
幕府が開いた小石川御薬園が元になっています。
今は広く一般植物も栽培されており、
多くの人々に親しまれています。
1878年、美しい自然に覆われたこの場所は「椿山荘」と命名されました。
明治の元勲 山縣有朋公が庭園と邸宅を構え、
高い空と椿をはじめとする木々の間を抜ける風光が時々刻々と変化する
様子に感慨を覚えながら、多くの方々をもてなしていました。
訪れる人々を魅了するもてなしの庭園の始まりです。
現在、豊島区の中心は池袋になっていますが、戦前は大塚駅周辺が城北の中心でした。都営バスや都電荒川線が大塚駅経由なのはその名残であると考えられます。大塚は、王子から中山道の庚申塚を経て小石川に通じる道の途中に位置していたため、古くから多くの人が往来していました。明治36年(1903年)に池袋・大塚・巣鴨の各駅が開業した後も、池袋より先に発展した街であったと伝えられております。明治末に開業した「王子電気軌道」の王子〜大塚間が大正4年(1915年)に開通し、山手線の内側に新たに開通した大塚〜鬼子母神前間が繋がりました。このほか、大塚〜上野広小路の市電もあったために大塚は大いに賑わい、駅前には白木屋大塚店などもありました。
大塚終点付近の商業街(1925年)
『巣鴨総攬』豊島区立郷土資料館提供
出典/豊島区ホームページ
豊島区教育委員会発行「豊島区文化財マップ」・「豊島区の文化財をたずねて」
江戸時代から多くの文人墨客が足跡を残し、明治時代には現在の東京大学(約3,550m)やお茶の水女子大学(約1,340m)、筑波大学(約1,090m)などの前身校が建学。日本の文教の伝統を物語っています。そして「大塚」は今もなお、名門と称される最高学府から附属の小中高校、幼稚園などを身近に見据えるポジションです。