「シティタワー虎ノ門」の北東に、天然の山としては東京23区内で最も標高が高く、深い緑に覆われた愛宕山があります。その頂上には徳川家康の命によって築かれた愛宕神社があり、江戸時代には町を一望する見晴らしの地として、また、四季の自然を楽しむ景勝の地として人々に敬愛されてきました。春の桜、夏の蝉時雨、秋の紅葉、冬の雪景色。その景観は400年の時を超えて受け継がれ、いまも訪れる人を魅了し続けています。
1603年(慶長8年)、徳川家康が江戸に幕府を開くにあたり、江戸の防火・防災の守り神として創建させたのが愛宕神社です。家康の守り本尊「勝軍地蔵菩薩」が祀られていることから、「開運」「勝ち運」の神としても知られ、武家、庶民を問わず多くの人々の信仰を集め、ほおづき市や羽子板市に賑わったと伝えられます。現在でも行われている六月の千日詣りや、奉納された羽子板絵馬にその名残りをとどめています。
本殿に向かう急な石段には有名な逸話があります。徳川家光が増上寺参拝の折、山頂に咲いていた梅を見て、「この石段を馬で駆け上って、梅を取ってくるものはいないか」といったところ、丸亀藩士・曲垣平九郎が見事成功。「馬術の名人」としてその名を全国に轟かせたというものです。この石段は「出世の石段」と呼ばれ、現在でも多くのビジネスマンがこの石段を上り参拝に訪れるということです。
虎ノ門の地名は、江戸城の城門のひとつ「虎之御門」が現在の虎ノ門交差点の近くにあったからといわれています。「虎之御門」の名は、東西南北に、青龍・白虎・朱雀・玄武という獣神を配する思想によるもので、江戸城の西に位置する虎ノ門は、西の獣神「白虎」にちなんだとされています。また、数多くの武家屋敷があったこの地には、丸亀藩江戸上屋敷跡に鎮座する「虎ノ門金刀比羅宮」、蘭学者杉田玄白が永眠する「栄閑院」など由緒ある寺社が点在し、折に触れて古刹・名刹と出会うことができます。
多くの武家が邸を構え、正統を受け継いできたこの地の気質は、その屋敷跡に建てられた数多くの大使館や格式あるホテルに受け継がれています。日本の発展とともに国内外の企業がひしめくビジネス街となった虎ノ門は、世界の一流を知る人々によって磨かれた迎賓の趣きが香る地であり、誇らしい過去から輝かしい未来へと続く東京を見守る地でもあります。
中央省庁が集中する霞ヶ関や、国会議事堂、首相官邸のある永田町に隣接する虎ノ門。国を動かす中枢という気高い伝統は、幕府の重鎮たちが屋敷を構えた江戸時代から現在に至るまで継承され、襟を正させるような空気が街並に漂っています。
明治維新の後、日本政府は旧大名家の屋敷の跡地を大使館用地として各国に提供しました。そのため大名屋敷が多くあった港区には現在も約140カ国ある大使館の約半数が置かれ、ここ虎ノ門界隈にも多くの大使館があります。また、世界から訪れる人々をもてなすワールドクラスのホテルが点在し、数多くのグローバル企業が拠点を設けることでも国際色が際立っています。
日本の美をもって諸外国の貴賓を迎えるという理念で1962年に開業した「ホテルオークラ」は、2019年9月にThe Okura Tokyoとして新たにオープンしました。奥ゆかしい優雅さを伝える「日本の美」と、きめ細やかな気遣の「日本の心」をコンセプトとし、静かで気品ある「オークラヘリテージ」と、上質な都市型の「オークラプレステージ」という2つのブランドを展開。「極上の日本らしさ」を味わえる迎賓の場所を普段遣いするという贅沢をここでかなえることができます。
1958年、敷地の広さや放送局への距離、展望台としての適性などを考慮して芝公園に建設された東京タワーは、高さ333mで、パリのエッフェル塔よりも高く自立式鉄塔としては当時世界最高峰でした。誕生から60年以上、日本の復興と高度成長のシンボルとして愛され続け、その姿は私たちの心に深く刻まれる存在となりました。東京の発展を見守ってきた東京タワーを間近に眺める誇らしい日常がここにあります。